『天皇ごっこ~母と息子の囚人狂時代~』

schedule

9/6 thu 19:30~
9/7 fry 19:00~☆ 20:30~
9/8 sat 14:30~ 19:30~
9/9 sun 12:00~ 17:00~

☆9/7 19:00~「三回忌追悼の会」

place

WoodyTheater中目黒

ticket

Price 予約 3,500円
ペアチケット 6,000円(2枚で)
三回忌追悼の会 800円

当日 3,800円
三回忌追悼の会 1,000円

story

 46年の生涯。
そのうち12年を刑務所で過ごした一人の男。
彼が獄中で書いた小説が一つの賞を授賞する。

男の名前は、『見沢知廉』

小説家として彼が描こうとした世界は、どこにあったのか。
彼の人生を追いながら、その複眼的な足跡に途方にくれる。

思想と行動、思索と執筆、精神と反逆、血と無垢。

思いつく限りのキーワードを原稿用紙に散りばめる。
だが、そこに現れるのは、あの日・・・
2005年9月7日、彼が死んだ日。
あの立ち止まってしまった、深い喪失。

物語は、実際に彼が体験してきた人生を追いながら、
同時に「彼が描こうとした世界」が、「見沢知廉」を追うという構成をとる。

獄中の彼が「見沢知廉」を裁く。
執筆をする彼が「見沢知廉」を描く。
右翼活動をする彼が「見沢知廉」をアジる。
女と暮らす彼が「見沢知廉」を抱く。

彼を知る多くの関係者への綿密な取材を経て、
実際に生きて死んだ一人の人間の人生が、
舞台という虚構の物語の中で再生する。

cosponsorship

一水会
作品社
新潮社
二十一世紀書院
白血球

support

常陸舗道有限会社

cooperation

高橋京子 ・ 鈴木邦男 ・ 木村三浩 ・ 針谷大輔 ・ 深笛義也 ・ 切通理作 ・ 正狩炎 ・ 朱斑羽 ・石巻沙梨酒谷詩穂子 ・ UMU ・ 深瀬由夏 ・ 大山敦子 ・ 塩山真知子 ・ 統一戦線義勇軍 ・ 第三書館 ・ 劇団め組演劇実験室◎万有引力千流螺旋組 ・ NPO法人アートネットワーク・ジャパン ・ にしすがも創造舎(豊島区文化芸術創造支援事業)

stuff

脚本・演出:高木尋士
演出助手:本田圭
舞台美術:西薩爾エピソ
照明:若林恒美
選曲・作曲:高木尋士
振付:華雨「華・蝶・封・月」
音響:宮崎裕之(Predawngem)
衣装:クラモチユキコ
舞台監督:吉川悦子・横川奈保子
記録:舟大工平九郎
写真:インベカヲリ
映像編集:吉野邦彦
宣伝美術:アストロラヴィオ・ダーヴィーズ
パンフデザイン:岡本バンビ
楽曲提供:SPUTNIKKOMBINAT
プロダクション:B.M.Factory
制作:市川未来・中田祐子・高橋あづさ

cast

市川未来・清水祐美子・あべあゆみ・磯崎いなほ・宮永歩実・さとうまりこ・村田弘美・阿部 満世・黒木智子・史-chika-・田中惠子・歌 栗原ヨシユキ

what’s Misawa Chiren

見沢知廉とは

1959年(昭和34年)8月23日生
作家。新右翼活動家。

中学3年のとき、友人に誘われ既成右翼の活動を手伝うが、失望。非行に走り反体制への共鳴から暴走族へ参加。
高校2年でブント戦旗派の学生同盟員になり、同中級幹部に。成田管制塔事件などの実力ゲリラ闘争に参加。一方では、高校2年から小説を書き始めて、78年より純文学の新人賞へ投稿し始める。
82年秋、イギリス大使館への火炎瓶ゲリラやスパイ粛清事件等で、政治犯として捕縛される。その後、東京拘置所、川越少年刑務所、千葉刑務所などに12年間収監。獄中でも反体制の姿勢を貫き、後半8年半は昼夜独房に幽閉される。
原則禁止の小説を獄中でも書き続け、コスモス賞や全作家賞などを穫り、長く同人誌で活躍したのち、幾つかのメジャー新人賞の予選や朝日文学賞などの最終候補に残り、出獄直前の94年10月、獄中で書いた小説『天皇ごっこ』で第25回新日本文学賞を受賞。
同年12月8日、満期出所。

95年11月25日『天皇ごっこ』を出版、96年2月に出版した第2作の『囚人狂時代』が8万5000部のベストセラーとなり、一躍マスコミの寵児となる。97年7月『獄の息子は発狂寸前』出版。97年6月に「新潮」巻頭発表、同12月8日に出版された小説『調律の帝国』は第11回三島由起夫賞候補に選ばれるが、惜しくも受賞を逃す。
また、サブカルチャー評論家としても活躍し、別冊やムック、共著本は20数冊を数える。雑誌「週刊プレイボーイ」、「テアトロ」、「創」、「宝島」、「GON!」、「BUBKA」、「BURST」、「ワッフル」等に連載ページを持つ。また、TV番組「朝まで生テレビ」、トークライブハウス「ロフトプラスワン」などでも論客として活躍している。出所して一時期は複数の民族派団体のリーダーをつとめたが、政治休養宣言をして、文学中心の創作に専念。
2005年9月7日、自宅マンションより投身自殺。

(作家:見沢知廉公式サイトより引用)

見沢知廉の著作

1995.11 『天皇ごっこ』 第三書館
1996.02  『囚人狂時代』 ザ・マサダ
1997.06 『獄の息子は発狂寸前』 ザ・マサダ
1997.08  『調律の帝国』 新潮社
1998.04 文庫版 『囚人狂時代』 新潮文庫
1999.08 文庫版 『天皇ごっこ』 新潮文庫
2000.05  『日本を撃て』 メディアワークス
2000.11 『母と息子の囚人狂時代』 新潮文庫
2001.03  『蒼白の馬上』 青林堂
2001.07 『極悪シリーズ』 雷韻出版
2001.08 文庫版 『調律の帝国』 新潮文庫
2001.08  『テロならできるぜ 銭湯は怖いよの子供達』 同朋舎・角川書店
2005    『ライト・イズ・ライト』 作品社
2005 『七号病室』 作品社
2005 『愛情省』 作品社

受賞暦
90年 コスモス文学賞受賞
91年~92年 全作家賞特別賞
94年 小説新潮短歌入選
94年 新日本文学賞受賞
98年 芥川賞と並ぶ三島由紀夫賞最終エントリー

comment

『舞台化に寄せて』 鈴木邦男(一水会顧問)

見沢知廉は革命家だ。2・26事件を再びやろうとした。革命がやれるのなら右でも左でもよかった。
新左翼成田闘争に参加した。しかし本当の革命は出来ないと思った。「やっぱり三島だよ」と思い、新右翼・一水会に入った。「でも思想は左のままだった」と言う人もいる。どうでもいい事だ、そんな事は。
新右翼の方が束縛がなく、アナーキーだった。やりやすかった。自分の力を試せた。たちまちトップに躍り出た。
先頭切って大きく飛んだ。右と左の翼を持ってるから強い。
極限まで飛び、「スパイ粛清事件」を経て、舞い降りたのは千葉刑務所の独居房だった。

見沢知廉は「意志の人」だった。強靭な精神力の持ち主だった。こんな男は今までに見た事はない。
どんな修羅場にもたじろがない。動揺しない。多分、維新前夜や戦国時代にはこんな男が多くいたのだろう。
その動乱の世の遺伝子を持ってこの世に生まれ出た。だから平和に慣れ切った今の人には理解出来ない所もある。
しかし、理解出来ない人間が悪いのだ。昔、男とはかくの如く雄々しく闘い、たじろがなかった。
彼の中に<日本史>を見る。

見沢知廉は「愛の人」だった。仲間を大切にし、弱い者の面倒をみた。慕ってくる者は書生にして家においた。
他人から借金しても、困ってる仲間を助けた。だからあれだけ本が売れ印税が入りながら、いつも金に困っていた。

見沢知廉は「夢に生きる男」だった。永久革命を夢みていた。常に考えた。「これでいいのか」と。
もっと大きな、根本的な世直しが必要だと考えた。左から右に。
政治から文学に。深く、そして高く。闘いの場を広げ、人々の心を揺り動かした。人々にも夢を与えた。

それなのに2005年9月、マンションの8階から飛び降り自殺をした。いや、そう伝えられただけだ。
実際は違う。
右と左の翼を持った鳳凰は、大空に向かって飛翔したのだ。白鳥になったヤマトタケルのように。
「俺なら飛べる」と思った。その通りだった。今も悠然と大空を飛んでいる。心の目を開いたら君にだって見える。
その証拠に、今年9月、僕らは目撃する。見沢知廉の「復活の日」を。
高木尋士氏の「劇団再生」に見沢は降臨する。天才・見沢との再会が今から楽しみだ。

『「天皇ごっこ」の舞台化は、見沢文学の新たなスタート』 木村三浩(一水会代表)

異色作家・見沢知廉が亡くなってから二年が経とうとしている。見沢といえば、長期下獄を通して、その体験をシニカルに小説にした「獄中作家」として有名だ。出所してから十年余り。娑婆で創作に勤しんだが強烈な獄中体験から脱皮できず、新たな地平への到達の可能性を持ちながら、享年四十六歳で逝ってしまった。

しかし、見沢の死後『愛情省』『ライト・イズ・ライト』『七号病室』(いずれも作品社刊)など数冊の著作がさらに発刊され、また見沢と交友関係があった仲間たちも、様々な角度から彼を題材とする執筆活動を続けている。一周忌にあわせては手作りながら追悼集も彼の墓前に捧げられた。

その強烈な最期にもかかわらず、ファンの心には未だ彼が息づいている。その意味では現在もなお、彼は読み物の対象なのである。

四十六歳といえば、円熟して「これから」という時期である。いやいや、年齢に於いては、常に「これから」であり、もう「これまで」という主観的な認識が幅を利かせてくる。自己の才は自分で修めなくてはならないのかもしれない。

この度、見沢知廉のデビュー作である「天皇ごっこ」が劇場に舞台を移し、上演される運びとなった。なんでも、今年九月の三周年に際し、追悼上演と銘打たれて予定されているのだ。この上演を企画しているのは、劇団再生であり、脚本家の高木尋士氏である。特筆すべきは、全て女性が舞台回しを行うということだ。極めて画期的な演劇が期待される。

さて、いまさら説くのも野暮な話だが、この「天皇ごっこ」について若干説明させて頂く。この作品は、見沢が獄中で執筆し、第二十五回新日本文学賞の佳作を受賞したものである。「懲罰房になんと三千日も入っていた」という触れ込みで伝説化され、実際、看守や受刑中の様々な規制の目を盗み、この作品を作り上げたのだという。監獄のリアルな実態をなかなか知る事が出来ない娑婆の人々には、にわかには信じがたいリアリズムが貫かれているといえよう。

作品の中身は様々だ。監獄を精神病院と看做し、精神病院患者に「監獄の実体を告白させ」虐待に近い苦悩を吐露させる。いつしかその苦しみから解放されるため「帰一」すべき対象が天皇であるという啓示に突き動かされる。

さらに、維新革命を担おうとする活動家たちの情熱と挫折などなど。これらのテーマで五つの短編をオムニバス形式に組んだ原作である。劇はどのように表現されるか実に興味深い。演劇として上演するうえで、何かしらの発展、新たな解釈がまた生まれてくることに繋がるのではないか。

見沢作品を読んだ人も、そうでない人も「死後成長し続ける見沢像」を確認すべく劇場に足を運んでもらいたい。

よく文学作品は「作者自身の偽装された自己告白である」と言われる。ところが、見沢文学は第三者をシニカルに描くことによって己を徹底して客体化させてきた。いよいよこの演劇化によって「天皇ごっこ」と見沢自身がリアリズムとして見事に昇華されるであろう。「天皇ごっこ」の舞台上演が実に待ち遠しい。

『見沢知廉氏と私』 蜷川正大(二十一世紀書院 代表取締役)

七十年代に右の三島、左の高橋としてライバル視され新左翼に圧倒的に支持された高橋和巳が亡くなったのが三十九歳。ノンフィクションライターの沢木耕太郎は、その高橋の文学を評して「高橋氏の最長編『邪宗門』の壮大な虚構性は、現代の日本文学の中でも十分に異質であり評価されるべきものであったが、その虚構性ゆえの脆弱さも確かに窺わせていた。だが『天』は、彼に作家として『成熟』する時間をついに与えなかった」と書いた。私は、見沢氏の訃報に接したとき、なぜかこの一文が脳裏に浮かんだ。

見沢氏と始めて会ったのは、詳しい日付は失念してしまったが、確か昭和五十七年のことだと記憶している。場所は横浜で、当時若葉町にあった炉端焼の「花笠」という店で木村三浩氏が一緒だった。

当日の午後に木村氏から、「友人と一緒に横浜に行くのでお会いしたい」という連絡が入った。生憎その日は先約があり、少々待って頂くことを了解してもらい、二時間ほど遅れてその店に顔を出した。

なぜその時の記憶が鮮明かといえば、その出会いから一ケ月も経たぬうちに、いわゆる「スパイ査問事件」にて見沢氏が逮捕されたことを知った衝撃と重なるからである。

事件は、単に見沢氏の所属していたセクトのみならず民族派、とりわけ新右翼と称された人達にとって大きな衝撃でもあり、障害ともなった。

これはあくまでも私見だが、その後の野村秋介、鈴木邦男両氏の台頭がなければ反米愛国、反Y・Pを根幹とした新右翼運動は、より停滞し、その存在意義すら見失っていたかもしれない。

見沢氏と再会したのはそれから十二年後、千葉刑務所の門前においてであった。獄中にあって書き上げた「七号病室」で「コスモス文学新人賞」をそして、見沢氏いわく「母と二人三脚で十年近くに渡って生み続けてきた何千何万という原稿用紙の上に咲いた、小さな花」、すなわち「天皇ごっこ」にて第二十五回「新日本文学賞」を受賞。その後の健筆ぶりについては、今更私如きが多弁を要する必要もあるまい。

私は見沢知廉氏のことを思い浮かべるとき、彼になぜかご母堂の顔が重なる。いや私にとっては、見沢氏はそのままご母堂と同義語であると言っても過言ではない。

ご母堂が、当時、野村先生が蒲田の蓮沼という駅の近くで経営していた「山河」というスナックの閉店パーティーに来られて以来、赤坂はみすじ通りにあった野村事務所へも幾度も、見沢氏の獄中からの手紙を携えて野村先生を訪ねてこられていた。それは見沢氏からの「恩赦請願」の依頼であったり、個人的な相談ごとであったりしたが、事務所を去る時のご母堂の後ろ姿に、十二年という途方もない時の流れに決して敗けまいとする、母としての必死の決意が感じられ、とても安易な慰めなど口にすることができなかった。

ゆえに見沢氏の戦線復帰はご母堂にとって何よりもの朗報であったはずだろうし、その後の、幾多の文学賞の受賞、華々しい文壇へのデビューは、親子の十二年の労苦への当然のご褒美であったかもしれない。

ゆえに見沢氏は「母と息子の囚人狂時代」の中に「母がいなければ、俺はあの十二年の地獄をとても生き延びることはできなかっただろう」と書いている。

地獄の十二年を生き延びた彼が、何ゆえに天国であるはずの娑婆で自らの命を絶ったのか、推測する以外の手段を持たないが、今となっては、死に至る動機を知ったとしても、見沢氏、あるいはご母堂へのレクイエムにもなるまい。
合掌。

『舞台化に寄せて』 針谷大輔(統一戦線義勇軍議長)

長い刑期に行くと、その期間は空間的には歳を取らないものであり、
氏が戦線に復帰して初めて言葉を交わした時、
まるで希望に満ち溢れた若者に感じられたものである。

私より年長であった見沢氏であるが、
私にはなぜか目上な者に思えず、妙に親近感が湧いたものだ。

氏と私は「本当に?」と思われる方が居るかも知れないが、
いつも会って話す事と言えば
『日本の戦略はどうするか?』
『米国の呪縛から逃れる為には』
『革命またはクーデターしかない!』だとか、
本当思想的な話、特にお互いの戦略論をぶつけ合って居たように思う。

そのような中、彼がこちらの世界に戻って来てまだリハビリに励んで居た大切な時期に、
今度は逆にこの私が拘留生活を強いられる状況が生まれてしまい、
彼のサポートを出来なくなってしまった。

この事は今でも心残りであり、もしこの間私が近くに居れたなら、
氏の人生は少し違ったものになって居たのではと、
いまだに勝手に思いあがってしまうのである。

晩年の見沢知廉氏は、「よしやるぞ!俺は針谷お前に負けないように頑張るからな!」と、
会う度、話す度口癖のように言っていたように思う。

元々行動的な見沢先輩、自分が薬に負けて行く姿に、我慢が出来なくなって居たのであろう。

闘いの中、突然夭折された先輩の生き様、彼の激動の人生を支えた熱い想いと言うものを、どうか舞台において現わして頂けたら、嬉しい限りである。

『舞台化に寄せて』 深笛義也(ライター)

知廉とセックスしていた。私は、ほとんどホモセクシャルではない。
それに、ここ十年は、女性を相手にした淫夢さえ見ていない。
見沢が逝ってしまった時に思った。
二本の指を失ってまで彼がこじ開けた生を、ちょっとした悪戯で閉ざしてしまうのなら、
今後一切、神を信じるまいと。

能登半島の突端で、荒れ狂う海に降る雪を見ていて、神がいるような気がした。
見沢の霊と語らしてくれるのなら、あなたを信じます、それは身勝手でしょうかと、私は平伏した。

それでなのだろうか。社会も時間も場所も、関係というものが無くなる夢の中で、
私は知廉と抱き合い、至福の快楽を味わっていた。

見沢知廉の死は、いまだに受け入れがたい。
彼の死後に手にすることになった作品を見れば、才能の泉は溢れるばかりに満ちている。
彼はこれからさらに高い頂を踏みしめて、私たちを脅かしてくれたはずだ。
絶望して死んだ? そんな安手のストーリーに、見沢を封じ込めることができるだろうか。

見沢知廉の世界が、芝居になるという。舞台の上で見沢が解き放たれるのを見たい。

『舞台化に寄せて』 正狩 炎(自由業 見沢知廉DVD「天誅」制作者)

生前序章、死後本章。
肉体は予告、魂が実体。
作品を残した者、その名声は永い。

活字に止まらなかった作家の活動は講演、テレビ、演説に及び、
その表現は朴訥に収まらず、叫び、泣き、笑った。
怒髪天を突くかの政治集会、その魂、突いた天に今は在る。
笑顔が現世人の心にある。
涙が原作にある。
命が舞台にある。

獄中、唱えること真言十万遍。
ないはずのものが見え、できないはずの小説が出来たという。
常識も科学もかつて認めない「知られざる領域」に踏み込んだ男。
舞台はまだ見ぬ展開に観客を巻き込んでいく業。
予定調和を破る、
原作者と役者は共犯であり、逃すか、捕らえるか、目撃者の意思か。

生前、私が目撃した「見沢ドラマ」の一編。
拘置所の面会。
時間わずか十分であるのに、
その前段、ある差し入れを「許可しろ、しない」の
押し問答が担当刑務間との間に十分。
さらに持ち込み禁止品の強行突入を謀り、
金属探知機を鳴らす事、五回。
ようやく実現した被告人との面会。
防犯ガラスの向こうに現れたのは
先ほど鳴らした金属探知機を世界中の空港、施設に
設置させるきっかけとなった「よど号ハイジャック事件」実行犯。
この面会、娑婆から出向いたのは三人であった。
面会室に居合わせた四人の内、
今、こうして「現世一般社会」にいるのは私一人。
四人中二人はこの世を去り、もう一人は囚われの身。
(彼は獄中で偶然にも「母と息子の囚人狂時代」を取り寄せたが、
「墨塗り」が数箇所あったという。
囚人にはバイブル、刑務所には毒なのだ。)

見沢氏と被告人は数年の念願を経て、
現世でたった一度、たった十分の面会だった。

●「見沢ドラマ」としたがこれは本当の話である。
事実は小説より奇なり。

三回忌。

見沢知廉が舞台で蘇るのも事実なのだ。

『見沢さんとの再会』 切通理作(文化批評)

神保町に行って目的の本は買えたのだけれど、今日は日曜日。次に来るときは山盛りナポリタンを食べようと思っていた「喫茶さぼうる」も休みだし、じゃがいもが持ち帰り自由なカレーの「ボンディ」も、店が入っている「古書センター」ごと休店ナリ。ブラックなカレーが食べれる「キッチン南海」本店も休み。すずらん通りの餃子屋さん「スヰートポーズ」もやってない。天ぷらの「芋屋」も休み。

淋しく休日の交差点近くを歩いていたら、目の前に突然いくつもの日章旗がはためいた。

右翼の情宣か?

でも普段は街宣車の演説にも無関心に見える市民の手に手に日章旗が次々と渡っていく。

ま・・・まさか!

「美しい音楽の中、小市民、オジサン、オバサンが幸福の色で楽しんでる。子供も、年寄りも、女も男も。うららかな日ざしと平穏――ところが、歌が急にアップテンポになって行く。人々の顔つきが狼男のように変わって行く。宿命的に、何の断層もなく流れる洪水のように安楽なハッピーから興奮、歓喜に……そして歌が激しいナチス党歌に変わって行く……おさげをした真面目な少女が叫ぶ、こわもてのオッサンが叫ぶ、子供達も歌い出す。市民の歓喜の合唱がパッション、熱狂、陶酔へと一気に流されて行く。皆、ユダヤ人を除いて一勢に立ち上がり一色の塊になって、右手を掲げ、ハイル!だ。あの自然な流れ、知らず知らずのうちに大河の方へと流されてしまう。あれが革命なんだ」

見沢知廉の『ライト・イズ・ライト』で書かれていた「革命」の瞬間が脳裏にスパークする。

ロープが張られ「前に出ないで下さい」と鋭い声が。

突然現われた非日常。これはクーデターか。

石原プロのテレビドラマ『西部警察』の第一話「無防備都市」のように、戦車が走ってきたらどうしよう。
だが走ってきたのはマラソン姿の黒人女性だった。

「このあとQちゃんが来ますよ~」と係員の人が配っていたのは朝日新聞の旗だった。

現実に戻った僕は、これはきっとあの世にいる見沢さんが白日夢を見せてくれたのだなと思った。

見沢さんが愛した文学の森、本の街という磁場で。
今度のお芝居の当日も、そうした磁場となることを祈っています。

『舞台化に寄せて』 陽羅義光(全作家協会理事長)

見沢君とは、文学世界での文字通り弟分であった。
見沢君と私の関係は、それ以上でもそれ以下でもなかった。
殺伐とした政治の件や、女々しい恋愛の話題が、
二人の間に介入したことは、全く皆無であった。

見沢君は、文学において信頼できるのは陽羅兄のみだと、
常々口にしていた。社交辞令を言う間柄ではなかったから、
まともに受けていたものの、頼り甲斐のない兄だったと
慙愧の念に耐えない。望まれて随分と原稿の添削もしたし、
厳しい忠告もしたけれども、
真に伝えたいことは後回しになっていた。
それが、鈍感な私にとっては青天の霹靂の彼の自殺によって、
水泡に帰した。

だからバカヤローと叫びたいけれども、
その言葉は必ずや自分に戻ってくる。

見沢君のシンドイ人生のかけらなりとも知っている私は、
なんだかんだあっても、
やるだけのやった立派な人生だったと考えている。

見沢君は、監獄生活や闘病生活や借金生活や○○生活も
すべてひっくるめて、見事な作家であった。
見沢君は、感傷を嫌悪し常識を罵倒したけれども、
肉親の情に脆く、友人知己の恩を忘れない人であった。
見沢君の判読困難な手紙文には、
いつもそこはかとないユーモアが漂っていた。
見沢君の作品から、私は稀有な知性と
独創的な論理もしくは倫理を読みとっていた。
見沢君の早口な台詞からは、生来の甘えん坊が
愛らしく顔を覗かせたものであった。

見沢君の世界が、このたび有能で志のある人たちによって
舞台化されると聞いた。
願わくは、偶像化されたニセモノの彼でなく、
知性とユーモア溢れる甘えん坊である、
ホンモノの
少なくとも生身の彼を観たいものである。

『舞台化に寄せて』 青木誠也(作品社編集部)

見沢知廉の作品世界が、演劇化されるという。
本稿執筆時点でまだ脚本はできあがっていないが、彼自身の生涯を描き出しながら、
随所に作品のエッセンスを織り込んでいくような構成になると聞いている。

そうした形の芝居をつくり上げるのが容易ならざる作業であろうことは、
演劇というジャンルの門外漢である私にも、想像がつく。
私はつねづね、見沢氏の小説の特徴を、カリカチュアライズにあると考えてきた。
そしてそれが、彼の作品の醍醐味でもある。

たとえば『ライト・イズ・ライト~Dreaming 80‘s』で描かれた、
新右翼の事務所や酒場での乱痴気騒ぎや、
デモの最中に女の子とキスをした上、その場面を公安に撮影されてしまうツカサ少年の姿。

見沢氏の作品にはいつも過剰なまでの装飾や演出が施されていて、
読者であるわれわれのおかしみを誘う。
だが、その彼の過剰な装飾や演出は、たんに「おかしさ」を描くためだけの装置として機能しているわけではない。

世界を戯画的に見せることによって、
腐敗した権力構造や、弱者を虐げる社会や、
軽佻浮薄な文化・風俗を抉り出すという作業も、同時に行なわれる。

そこに見沢氏の作品の文学的価値の多くがあると思うし、
彼の死後も多くの読者をひきつけてやまぬ所以でもあろう。

これからつくられる舞台が、見沢知廉の小説たちと同様に、
ユーモアと、現代への鋭い風刺を含んだものになることを、願ってやまない。

公演写真

撮影:インベカヲリ

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